ゲームとマンガを消費し続けた存在が、人間関係もねらっていくにあたっての備忘録です

多様性チャレンジ_20221203

これは備忘録なので、行替えするごとに、話題は完全に飛躍する。

 

違和感がある人と話すということ。

ズレている人間はズレている、それに気づくのがおそらく自分は早く、しかしそれを避けないためにズレている人間と関わることが多い。普通の人間は、普通に正しいので、息苦しい。安心しないために常に変な人間と話し続けている。安心?諦念だ。諦念したくない、この世界は変だという感覚を忘れたくない。

 


金曜って実質土曜だから仕事できなくてもいいよね、とか、ふわふわのネコちゃんのことだけ考えていようよ、と言った言説は、こんなことはできないと多くの人がわかっているから、支持される。
わあ本当にその通りだ!なんて言っている人間はやはり、どこか、おかしい。
というか、こんなことはできない、と思うことを、何かいけないことだったり、恐ろしいことだと思っているのではないか、という気がする。難しいことは考えないで、ふわふわのネコちゃんのことだけ考えようよ、というのは、そうできたらいいのにね、であって、そうできたらいいのにね、はそうあるべき、ではない。そして、このような考え方をやたらに肯定したり、唆すような行為は、寄り添うようで突き放しているので、苦手だ。
沈むように、溶けていくように、というやつだ。優しくて、何も生まない、幼稚さの搾取に見える。

 

 

人権について4秒に7回くらい考えている。

 


社会保障というのは本当によくできている。人権というのは、心では絶対に理解できない。本当の弱者は、助けたくなるような顔をしていないから、制度で機械的に運用しないといけない。
それはそれ(それをまず、強く理解することが大前提なんだけど)として、どんな顔をしているか知るべきだというのは、ミーハーな好奇心として揶揄されたくはない。
両者は表裏一体で、どちらが欠けても理解には至らないと思う。どちらかを疎かにするのは、差別への加担だと思うが、もちろん、コスパは悪いし不快な人は耐えがたいので、一切やる必要はない。差別を許さないみたいのは、まあ、趣味の範囲でやるのがいい。

 

 

カタールに出稼ぎにきた人間が、たかだか1ヵ月の球蹴り大会のために数百人バタバタと死んでいようが、そんなのは僕たちの人生に何ら影響を与えない、クソどうでもいい、つまらないことだという事実を、まずは認めないといけない。

 

 

大森晴子は卒業しましたと言っていた後輩のこと、愛しすぎて笑ってしまった。

 


冷笑をやめろ、おおむね同意するけれど、それでも冷笑をやってしまうことについて、けっこう落ち込んでいたこともあるんだけど、前向きに自己弁護できるようになってきた。
冷笑を完全にやめられる人間、それは冷笑すらできない人間を切り捨てる側の人間だと思う。冷笑をやめろ、というのは完全に自分と近しい感性の人間としか付き合わないという宣言に聞こえる。絶対に理解できない他者に対して、アイロニーだけが正気を保つ手段になりえる。というか、冷笑という言葉の持つ範囲が大きい、というのはありますよね。近年流行りの陰湿金融文学なんてのは、やめろとしか思わないが、あれを持て囃す世界なんて馬鹿にしないとやっていけないだろうが。

 


まっ昼間のガストで「セックス完全に理解しました!」と叫んでいたフォロワーが3年くらいしてその異常性を笑えるようになったの、すごく嬉しかった。
人は自分自身で勝手に救われるし、昔よりずっと近い距離で話せるようになった気がした。

 

 

「川は海に向かって流れる」という漫画を読みました。良かった。最近は話題になる漫画って多くがマイノリティの主人公なので、無意識にすごく傷ついていたみたいだ。色々複雑な事情があるんだけど、結局は男が女を好きになる話だったので自然な気持ちで読めた。ポリコレ疲れというと感じが悪いけど、自分でもちょっと驚いてしまった。
俺は物語に対するスタンスが遠いので、特に個にズームインするラブストーリーってどうしても、あーうるせ~、セックスしたら後で教えてくれ~みたいなテンションになってしまう。内面について見開き2ページ以上説明されるとオッケー!!!じゃあまた!ってなっちゃうことに気づいた。「川は〜」は作者のキャラへの距離感がちょうどよく遠くて、助かった。

 

 

努力は何も偉くない。生きているだけで偉いわけがない。
ただ努力している人間、いや、本当にすごい人間は努力を努力と認識していないが、つまり何かをやろうとしている人間は、面白い。
そして、何かをやろうとしている人間と同じくらい、何かをやらずに生きてしまっている人間も面白い。
いや、上下で考えてはいけなくて、外れたものが面白いと言える。

 

 

 

外れたものでも生きていて、それを包摂して黙って回る世界が変で、面白いのだ。