ゲームとマンガを消費し続けた存在が、人間関係もねらっていくにあたっての備忘録です

RTAinJapanが面白かった話を、恥をしのんでやります

RTAinJapanが面白かったという話

 

Ⅰ 

 ふだん自分が実況動画を見ることは少ない。
ここで皆無だと言えると論旨に迫力がでてくるのだけれど、悲しいかな、
ホラーゲームは怖くてできないので見ています。
既プレイのゲームを他人が上手くやってる動画とか見てしまう。

友達の家でゲームやるの見てるときの感覚を、拡張した感じだろうか。スパチャとか、あるじゃんそういうの。
まずは先に謝らないといけない。
あれ全く楽しくなかったんだけど、楽しい人もかなり多いということをハタチ過ぎるくらいまでわかっていなかったんですよ。
で、さらに言うとラジオ的な感覚で聞いている、見ている人も多いということで、そういうことへの理解が最近まで全くなかった。面白そうなゲームの動画を見る=自分もやりたいから見る、もしくはハードが無いから仕方なく動画を見る、だと信じこんでいました。理解の無いオタクくんだった。
 
おまえら、ゲームしたい訳じゃないのな。
 
 バーチャルYouTuberがおれがやろうと思ったゲームをへったくそな操作とつまんねえ喋りででチンタラプレイしているあいだに金が入っていく構造がマジで全くわかっていなかった。そこじゃなかったんだな。いや、そこじゃないことにはずっと気づいていたんだけど、それでいいんだということへの抵抗感がずっとあった。鉄オタには悪いがおれは人生で一度も鉄道に対してかっこいいという感情を抱いたことはないし、交通手段以上の価値を見いだしたことがない。そういうことだろ。ゲーム実況配信が好きな人間は別にゲームが好きなわけでも、プレイしたいわけでもないという事実を、受け入れられていなかっただけだ。

 やろうと思えばファスト映画的な方向性で買ってもないゲームのネタバレだけ享受するな!みたいな話もできるけど、さっきも言った通り僕もホラーゲームは実況見てしまうのでダメだった。
それにおそらく、いや絶対に実況配信の影響で売り上げがあがるというのはあるはずで、実況しか見ない人間の裏に実際に買う人間も山ほどいるんだろうと思う。

 Youtuberは個人の魅力をどれほど売り込めるかだ。
動画と、個人体験と、その共有という面で、ビデオゲームは親和性が高かった。いいんだ。
うまい棒が本当に好きな人間は、きっとうまい棒100本買って食わずに捨ててるやつのことを殺したいほど憎んでいたはずだ。そういうことだろ。
ゲームをだしにされるのが本質的に不快だ。プレイしないで知った気になる行為も、動画からの考察厨も、はっきり言って狂っていると思っている。でも違うんだろ。
本を装丁で買うのも、駅の写真を撮るために鉄道に乗るのも、全部おかしな趣味なんかじゃない。
「Detroit: Become Human」はビルの上で鳴り響く風音こそが解放の象徴であり、「ラストオブアスⅡ」は呼吸音と明滅する廊下の光が、けっして泣くことを許さないのだ。

でも、興味のない人間もいるんだ。画面上で動くキャラと、喋っているプレイヤーが視覚と聴覚に適度な刺激を与えてくれる、それをずっと好む人間だっているんだ。
サッカーをやらなくてもサッカー観戦が好きな人なんて星の数ほどいるんだ。たまたまお前が力を入れてやってるものがゲームだっただけだ。

お前が、お前の趣味を人に押し付けるな。
そういうことの、延長にすぎないとわかっている。
だいぶ前から知っていたんだ。
だけどなんだかすごく寂しいんだ。
それだけなんだ。
 

 だから、RTAinJapanが面白かったのはすごいことだった。
RTAのことはもちろんずっと知っていた。
縛りプレイがそんなに好きなタイプではないから(そう、おれのゲーム好きなんて本当に、限られた一部分のこだわりに過ぎないのだ)、なんかやってんなあくらいの認識だった。
RTA動画が面白いという、ゲームやってない人間の声が不快だったから、ちょっとネガティブな目線で見てしまうこともあった。
でも、RTA目的でゲームを始める人間はそんなにいないだろうし、ふつうにクリアしたうえでやり込みとしてやってるプレイヤーの姿はなんとなく好ましかった。
まずあんな動き相当練習しないと出せねえだろ。それだけで不思議な尊敬が生まれる。もし動画収益目的であの動きを身に着けられるなら、もう頑張ればサーカスとかでも稼げるだろ。

 本来のゲーム内容とあまりに外れた内容だから、ネタバレしてもネタバレにならない。
知っているゲームであればそんなこともできるのかと驚ける一方で、知らないゲームでも面白い。
走者の熱が伝わるのがいいのだろうか。
今これが流行っているからという理由でよく知らないゲームをなんとなくたれ流す実況者より、10年以上前のゲームを妙な手順で生き生きとプレイする人のほうが見ていてずっと面白い。


他の人にとってなんの意味もない努力だ。


だけど本人にとっては何にも代えがたい意味があるのだ。その熱が伝わるから、純粋な気持ちで応援できた。
きっと非営利だからできるんだろう。クソみたいな資本主義の拝金ユーチューバーどもが何百年かかっても生み出しえない感動があった。
今のはただの悪口で、その発生は仕方のないことなのであんまり言わない。インターネットと金稼ぎは蜜月を通り越してぐっちゃぐちゃになっている。
そもそもRTAinJapanという企画が成功した要因なんて、まともに言い出したらキリがない。
動画として長すぎない、ある意味「忙しい人のための」シリーズみたいなもんだし、「巣ごもり」期間のちょうどいい娯楽として受け入れられたのも、時流に乗っていたからだ。
まだマイナー枠にいるから民度が低くないという話もあるし、スピードランの世界がメジャーになれば、もうゲイビデオでゆっくりを作っている場合ではなくなるぞ、という気持ちももちろんある。

 

だけど、どの走者の方も、主体をゲームに置いていた。
本人は集中してゲームしてるんだから当然なんだけど、解説も普段走者としてやっているだけあって、徹底してプレイを立てる配信なのが心地いい。
正直そのへんの実況よりずっと走者の努力があって成り立つコンテンツだと思うのだけれど、みんな謙虚なのが気持ちよかった。
このゲームが本当に面白いから、こんなに人が見てくれているんだと、強く信じている姿が格好良かった。
「この動画を見たひとりでも多くの人が、このゲームをプレイし、できれば、RTAをしてくれることを願ってやみません」
こういうセリフを皆が言っていた。


俺はまさに、救われたのだ。

 

もちろんゲーム実況者といったってピンキリだ。人気のある方は当然ゲームが主体になるよう強く意識していらっしゃるし、ライブチャット中のネタバレやリスペクトのない発言に強く怒る方もいて、素晴らしい実況をされている。
だからこれは俺の小さな世界の話だ。
でも俺の小さな世界は、RTAとかいう酔狂な趣味を持つオタクの一声に救われたのだ。

 

有名になったとはいえ走者として頑張るにはなかなか時間的、体力的コストのかかる趣味だ。いまの立ち位置から大幅に変わることは無いように思うけど、今後どうなるのか楽しみだ。
ありがとうRTAinJapan。
気が向いたらブラッドボーンのRTAやってみるよ。