ゲームとマンガを消費し続けた存在が、人間関係もねらっていくにあたっての備忘録です

それは浅い文ですか?

 


 何も正しくないと思った夜も生きているということ。
どこにも行けないような気がしている。何かをやり残したまま、漫然とした人生を進んでいるような。「漫然とした人生」という言葉が、自然と出てくるようになった自分が恥ずかしいようで、でもどうしようもないじゃないかみたいな開き直りも共にあって。
人の別れもそうだろう、無いというわけではないけれど、あるかと聞かれるとないと答えてしまうような。深く思い出になるような瞬間は少ししかない。それでも生きていくから、無駄なことなんて何もなかったと笑って言えるようでありたい。


みたいな。

 
 なんにも言ってない文って思ったより簡単に書けるな。でもたぶんそれなりに人気が出るんじゃないかとも思う。自分でやってみればすぐわかる。ふわっとした共感をパターンと手癖に絡めて、アクセントのある比喩で味付けする。雰囲気が大切だ。
こういう調子で毎日欠かさず無を生み出していけば何かになれるのだろうか。何かって何だろうか。まあ、それを継続できるならやっぱり才能なんだろうとは思う。これは落書きではなく作業だから、職人の才能だ。
浅い文ってなんだろう。「浅い文」という言葉を容易に使うのはよくない、というのはわかる。ただ最初の文はなんかいやだな、と思う。何が嫌なのかわからない。無を書くのは特に力が要らないな。息を吐くように書ける。でも息を吐くように無を書くくらいなら、
死んだ方がいい。


労働がしんどいと趣味ができなくなってくる。根を詰めてゲームができない。せめてもと適当なアニメやドラマを観る。ベッドに横になり、我に返って飛び起きて、やりたいことを気合でやっていく。
やりたいことがやらねばならないことになっていく。いや、そうしなければできなくなってくる。日々が脅迫だ。今やらないと、もう二度と動けなくなってしまう。死ぬ前にこの本だけは読まないといけない。あと何度この場所にいられる?

 

……ああ、不意に腑に落ちた。

バラエティ番組がもたらす、ふっとした笑いは、多くの人間を救っている。

 

 破綻なく流れを感触として理解しながら文章を書く能力と、ひりつくような言葉を脳髄から引き抜いてくる能力は別なんだろう。そのどちらも、生きていく上では全く必要ないという一点の絶望しか、共通点はない。

だから落書きは救われないといけない。全ての創作は、救われるためになければならない。

そして救いのために書いていたらバランスはきっと取れない。その速度だけが、誠実さだ。だから定量的な詩、詩のようななにかは、気味が悪い。

 

中途半端に行間をつくって、ロールシャッハテストのように他者に解釈を委ねる文が怖かった。
もともと、詩自体は確かにそういう側面を持っている。詩の解釈は読み手次第だ。
でも、表出した自己は、生まれた瞬間は元来それ以外のものを投影しないはずだ。

曖昧な言葉に深そうな解釈をつけさせて消費させるタイプのコンテンツが共感を集めまくっているのを見るのが怖くて怖くてずっと目を背けていた。
ケータイ小説が学校のクラスで流行ったときに感じた怖さと、Twitterでアボガド6に出会ったとき再会した感情は一緒だった。あれがプロトタイプだ。全部そうだ。まさしくそれは体験型のコンテンツだった。


それは君の物語だ。これってあたしだ、ってやつだ。
そうだ、お前であり、誰でもいい。

 

霞のようなコンテンツの制作者が、その顔があまりにも空虚に感じてわからなかった。
でも大人になって、やりたいことができなくなってきてわかってきた。ふわりとした余韻は気持ちがいい。君だけの物語をつくりたくてもつくらなかった全ての人にとって、その土壌を用意してもらえることは確かな福祉なのだろう。
君の感性に寄り添うように、言語化された情景は、無印みたいに機能的で心地いい。あとは並べたり、そろえるだけで思いのたけを表現できる。それは多くの人間を救っている。
空虚で無意味な文は、意味を与えるパッケージとして、大きな意味を持っていた。今はその価値がわかる。それは価値あるファンデーションで、冷凍食品みたいな詩が世界を救うのかもしれない。

まったくお笑い種だね。どこに非難されるいわれがあるっていうんだ。インスタントな共感は、何も悪いことじゃない。
そのとおりだ。なんでだろうね。諦めてしまえばいいのに。だれもそんなこと気にしちゃいない。

だけど俺はそれで満足できないんだろう。だってそうだろ、空なんてなくても、最初から僕らは飛んでいたのに。

落書きでいいんだ。落書きでいいんだよ。
落書きでいいから、立ち上がる瞬間が見たい。立ち上がったとき、あなたはすでに飛んでいることに気づくだろうから。

 詩情は暴力性をはらんで暴風を突き進む。プリミティブな感情を自分の中から奪い返して叩きつける所作こそが祈りで、だとしたら綺麗な空なんて要らないんだ。
逆なんだよ。飛んでいたかったんだ。空が欲しかったわけじゃないだろ。

 

空なんて要らなかったと叫ぶために、落書きは救われないといけない。

 

 


――冬の蛍の写真を君が撮ろうといったんだ。僕にはその記憶だけでいい。
でも君に渡すわけにはいかない。それは君の物語なんかじゃないから。