ゲームとマンガを消費し続けた存在が、人間関係もねらっていくにあたっての備忘録です

冬と文章と意味と死体の話

 正しい文章が書きたい。背中を押すのは狂気だ。正しい文章が、正確な表現が、共通する心情が、あるはずなのだという狂気だ。

正確じゃないから届かないのだ。努力が足りないからその言葉は出てこないのだ。きっと、きっと、答えがあるはずだと。あるはずなのだと。叫ぶほど熱い思いでもあればいいのに。

ため息をついて代わりに彼は叫んだ。


単純でいたいのだ。単純でいたい。

頑張りたくない。

なんにもない。

 

ときおり見える気がするんだ。たしかに掴める距離に、正解がある気がする。闇雲に腕を振り回して、またひとつ間違える。感情にあう言葉を見つけるつもりで、言葉に感情を当てはめている。あるはずだと思って倒れ続ける。地面を泳ぐ。潜り続けている間だけ、たしかな夢を見ていられる。

 
言葉にすれば嘘になる。消えて霞のように曖昧になる。そんな見透かしたようなすべてが大嫌いだ。嘘なわけがない。足りないだけだ。伴奏も転調もカメラワークも顔も動きも無いまま、文で表現するには足が遅いだけだ。そっと拾い上げれば、ふっと息をかければ、それはどこまでも飛んでいけるはずだ。
そもそもが、絵だって音だって、嘘の一つもつけたためしがないのだ。嘘なら嘘で、その鋭さも、曖昧さもすべて届けてみせて。その瞬間へと至る空気すら、捉えて離さないように。

 

単純でいたいのだ。単純でいたい。

頑張りたくない。

なんにもない。


言葉じゃ伝わらないなんて叫ぶ、かっこいい歌がいつだって文章を馬鹿にする。反動的な懐疑論で、世界を複雑にしていく。そうやって一生わめいてろ。世界はもっと、もっと広くて、静かだ。
その静寂を、浩々たる優しさを、僕たちは最初から知っている。

 

 頑張りたくない。頑張りたくないのだ。
内発的な動機づけは内発的にしか生まれ得ない。啓発は他己の屍を、輝く言葉で飾り付ける。開いた扉さえ誰かに用意されたものなら、そんな冒険は死体の川下りだ。他人の言葉を散りばめた、だれかのアクセサリを身に着けた、終わりのない冒険。
もしかしたら、死にたくないから冒険を始めるのかもしれない。諦めて生きていくことに、前向きになる。そんなのは死んでいるのと同じだと思うとき、きっと僕らは本当の冒険を始めていて、でもその冒険は、野ざらしの死体へと続いている。

なんにもない。あるものは見えないし、ないものは言うまでもない。 


 回り続ける日常が、いつだって夢を終わらせようとしている。そこにあった感情や風景を置き去りにして、先へ先へと。先などないというのに、前だけ見ていろと言う。
心底頑張りたくないのに、嫌なことばかりだ。知ってるさ。正解には辿り着けない。いっつも寂しそうに笑うのが嫌なんだ。それでもいいから笑ってほしいと、思ってしまうことが心底嫌で。ほらやっぱり、どこにも正しい文章なんてない。

単純でいたいのだ。正解などほしくない。努力なんて生まれてから一度もしたくなかった。こんなに必死に逃げているのに、何一つ得にならない嫌なことだけが、それでも答えがあるはずだと、主張する身体だけが、ずっと狂ったまま逃げることを許さない。

 

ため息をついて彼は言う。

 

だいたい人間というやつはおかしいんだ。

ふとした光景に涙が出るとき、言葉なんて必要ない。いつか思い出すときに言葉なんて残っていない。ほとんどの思い出は言葉を忘れ、もっと大事な何かがそこに残る。それでいい。それなのに言葉は。

ごくまれに、強烈な閃光を放つ。その一瞬だけで、世界は色を変える。

 

その躍動を、僕たちはずっと知っている。

 

そんな奇跡を使いこなして、当たり前のように会話をして、文章を書く。それはとっても、あまりにも綺麗で残酷なほど美しい。この言葉をもっと上手に使えるだろうか。そうすればいつかは届くのだろうか。

言葉をひとつ、文字をひとつ、口に出すとき、紙に落とすとき、誰もそれを止めることはできない。その静けさは叫ぶような熱さを持ってはいないけれど、熾火がくすぶるように燃え続ける。その中で人は自由であることを知り、そして繋がっていることを知る。そんな文章を書けたら、きっと生きている価値があるんだろうと、彼は思って、またため息をつく。