ゲームとマンガを消費し続けた存在が、人間関係もねらっていくにあたっての備忘録です

スプラトゥーン2ほんとにいいゲームだから早くやれ

スプラトゥーン2、ガチアサリでX帯にあがった。

スプラトゥーン2のガチマッチには四種類の別ルールがあり、2019年3月の段階でガチアサリX帯は全プレイヤー中3万人とのことだ。そもそもどれかひとつのルールでもX帯に入っているプレイヤーはアクティブプレイヤーのうち数%しかいないということは公式からも発表されている。

 

スプラトゥーン2におけるガチマッチのウデマエはC-からはじまり、C、C+、B-と刻みながら一定の勝率で昇格していくことになる。A+から次はS、その次のS+0からはS+0~S+9まで怒涛の刻みがあり、その末にS+10以上のプレイヤー世界、すなわちX帯が存在する。

 

スプラトゥーン2が楽しいということはこれまで再三発信してきたけど、ようやく人に語れる最低限の域に達したので、スプラトゥーン2から学んだこと、なにを得たのか、ウデマエが上がっていくなかで意識がどのように変化していったのかなど、攻略情報や雑誌のレビューでは絶対に読めない成長の記録を残しておこうと思います。できないことができるようになる、自分の視野や世界が広がるという意味で、それはなにものにも負けないたしかな成長だったのだから。

 

ただし、先に言っておきますが以下に書いていくような気づき、思考なんていっさいなくともふつうに楽しいゲームなので、楽しいゲームなんです。熱量の都合でデザインとかに言及する暇がない(それにそれはほかの人がいくらでも書いてるだろうし)だけです。

 

さて、なにから話そうか。

ガチアサリのルールについては以下を参照していただければわかりやすいです。

https://s.famitsu.com/news/201712/13148074.html

つまるところ、アサリを集めてラグビーボールのようなガチアサリを誰か1人がつくってバリアを壊し、カゴにみんなで玉入れするという競技です。もちろんアサリを集めないと話にならないんだけど、相手の動きを無視して敵陣に突っ込んでも返り討ちにあうだけだし、なんなら行き違いになって自分のところのゴールバリアを破られてしまうこともある。全体をよく見て動く点では他のガチマッチ(ほかにもさまざまなルールがある)にくらべ比較的視野の広さが求められる競技だと思う。(当然ほかのルールでもうまい人ほど視野は広いよ!?)

 

さて、C-から始まった長い旅路は、当初順調な滑り出しだった。ルールもわからずアサリを集めてこれどこにもってけばいいんですか?みたいな顔をしていたのは最初の2,3試合、理解してしまえばやや複雑なルールのほうが得意だったようで、トントン拍子にBくらいまで進んだ。他のルールはS帯にあがったときからYouTuberの動画などを観て勉強することを解禁したのだけれど、ことガチアサリに関しては本当に自力、独力でXまでこれたので、性にあっていたのだろうと思う。

 

C帯は敵味方双方がまだ操作も未熟でキルをとれないから、とにかくさっさとアサリを集めたもん勝ち、といった今にして思えば殴り合いのケンカみたいなことをしていた。プレイヤースキルもバラつきが激しく、TPS経験者やジャイロに慣れている人なら初期から無双できていたように思う。僕はジャイロがはじめてすぎて、B帯の頃まではジャイロオフにしてました。逆にゲーム初心者の人のほうがジャイロにも抵抗無いのかもしれない。慣れるとなかなか便利なんですけどね。ちなみにこれは強がりで、ぜったいに最初からジャイロに慣れる練習をしたほうがいいです。強がるなよ。

 

B帯ではキルを取れる「個」が大きな存在感を持っていた。たとえガチアサリをつくっても、狩られてしまえばゴールまで辿り着けない。1人が何人もキルして強引にゴールバリアを破る、そういう局面も多かった。ガチアサリができてしまえば居場所がバレてしまうので、アサリを9個保ちながら相手陣地に近づき、ガチアサリ完成即ゴールバリアへ投げ込む、といった基本戦術が浸透し始めるのもこの頃からだ。ではこのB帯とA帯、なにが違うのかと言われるとズバリ“視野”だと思う。

“視野”という概念は自分が上手くなるにあたってかなり大事な考え方だ。

4on4で戦っている以上、1人でつっこむ、深追いすることは原則やってはいけない。ただ、B,C帯ではうまくいってしまうこともあるから気持ちも分かる。なんて味方は弱いんだ!俺はこんなにキルしたのに!だが断言しよう。それは、それは9割自分が悪いのだ。

 

このころから“遠くを見る”ことを意識的に始めるようになった。敵が近くに来てからできることというのは限られている。これは今でも、いや今だからこそはっきり言えるが、スプラトゥーンにおいてキル力(相手を倒せる力)とエイム力(より早く正確に的に狙いを定める力)は低ランク帯の人が思っているほど密接には繋がってこない。とうぜんブキには射程があり、遠くを見るというのは短射程ブキにはなかなか最初は難しいものだ。ただ、長射程ブキ(スナイパー、マシンガンの類だ)の敵がどこに今いるのか、少なくとも相手4人のうち2人の動きくらいを常に注意することで、「突然の死」を避ける意識が出てくる。「突然の死」なんてものはないのだ。自分が気づけていないだけなのだ。相手よりも早く相手の存在に気づけていれば対策のしようはいくらでもある。失敗してはいけない戦いには相手よりも準備してから向かうべきだ。だってなんの対策もしなくて勝てるほど、自分は強くないのだから。本人(イカ自体)の基本性能がまったく同じゲームでさえそうなのだ。いわんや現実をや。

 

コントローラーの操作やステージごとのおおまかな間取り、ルールや守るべきポイントも理解できてくると、A帯へと上がっていく。A帯はB,Cとは層の厚みも違い、A-とA+ではかなり力に差が出てくる。このあたりで、なにも考えずになんとなくやっていた僕はガクンと勝率が下がった。勝っていたはずが逆転される、いちど形成が不利になってから立て直すことができない、なんかエイムが合わなくて撃ち負ける、など、よくわかんない、自分の能力は足りてるはずな(んだと思っている)のに負けることが続いた。

 

惰性や怒りにまかせてもう一回もう一回とやってもウデマエはいっこうに上がらない。なんで負けたんだろうと思いながらまた繰り返す敗北ほどつらいものもない。ランク50までに全ルールSにのせたかった(実際は58くらいまでかかった)ので焦る気持ちは増すばかりだった。

 

そしてある日気づいた。自分は勝ちたいといいつつなんの改善もしていない。そう、努力は適切な方法で行われなければならない。毎日試合をしていても、なぜ負けるのかわかっていないならその毎日の時間に成長はないのだ。だんだん自己啓発マニュアルみたいになってきたな。や、自己啓発系の本ってあれそんなに変なことは書いてないんですよ。だいたいの場合論点は仕事がやりたいことか否かという話で、仕事をやりたくてやっている人はほとんどいないという点に問題があるわけです。やりたい、楽しい、成長に意味を感じる、そういうものごとであれば自然と行き着く結論を、そうでないものに適用しようとするからおかしくなるわけで。閑話休題

同じことを繰り返すだけでも、意識が変わるだけで得られる情報量は格段に増加する。勝ちたいじゃない、勝つぞという気持ちを持ったときから、一戦一戦ではなく、一キル一デスのたびにその勝因、敗因を考えるように意識をシフトさせた。(スプラトゥーンでは死んだらスタート地点からリスポーンするため、一試合で何度もキルデスが繰り返される)ちなみに、どうして負けるのかより勝ったときどうやって勝ったのかを考えたほうがいい。存在する情報量は同じだし、気分がいいときのほうが情報も前向きに手に入る。なんとなく撃ち勝った、その瞬間をなんとなくではないものにする。右にボムを投げて左から襲う、高台にボムを投げておきながら前の索敵に視界を絞る、といったサブウェポンの使い方を、意識的なものへとブラッシュアップしていったのはこの頃だったように思う。

 

さて、そうこうやってるうちにSになり、S+0になって調子に乗ったりしていた。A+~S+0は正直そこまで差がなく、いったりきたりか続く。A+からはすぐに戻れるものの、SとS+0なんかもう誤差だろってくらい激しく行き来した。他のルールもそうなんだけど、ここまで来ると個々の力はみな安定してくる。個の力を上げてどうにかなる相手ではなくなってくる。個でできることはもうやった、こっから先は反復練習しかない、それだとウデマエキープはできても上がらない。そして、長い長い停滞の先に、だんだんと疑念が生まれ、いつしか確信となる。「これまで個の力だと思っていたもの、はたしてその全てが個人の力だったのだろうか」と。右から敵が出てきたのは、左に味方がいたからだろう。あのとき集中放火をくらったのは、自分が突っ込んだと同時に、味方が下がっていたからだろう。「敵を見て動きを考える」ことはできていた。でも、その敵だってこちらの見方の動きを見て動いているのだ。味方の動きを把握する、その一歩先に答えがあった。味方のアシストとはすなわち敵の行動の制限であり、ひいては自分の行動有利につながっていたのだ。個の力、集の力、チームワークによる能力の飛躍的な向上がたしかにそこにあった。非常に前向きで、向上心に富む組織の動きのモデルがそこにあったのだ。

それぞれの持つブキには得意不得意があり、それを4人で補い合いながら目的に向かって努力する。攻める、守るの意識を四人が共有することで、たった5分の試合時間中に有機的な繋がりが生まれる。

なるほどなあ、そういうことだったんだなあ。S+3からはもう迷いはなかった。勝率をキープしていくということ。それを続けること。適切な努力を、淡々と継続することでしか、高みにはのぼれないのだ。

 

なんだっていっしょだ。ペン回しもけん玉もやっていくことはおんなじで、受験勉強も英語学習も野球もサッカーもみんなおんなじことなんだろう。悲しいことにスプラトゥーンをいくら続けたところで社会的にはなんの評価もされないが、それはスプラトゥーンを頑張らない理由にはならない。

 

いまさらながら言っておくけれど、別に高みを目指さなくても十分スプラトゥーンはたのしいのだ。親しみやすいデザイン、音楽、自然と楽しく操作を覚えられるシステム。門戸がおそろしいほど広いのが任天堂の圧倒的な強みだと思う。その途中で徐々に試行錯誤の楽しみを学び、しかもそれはすぐに結果に反映される。子どもから大人まで、だれもが楽しいとは何かを考えるきっかけになる。(実際はそこまでほとんどの人は考えずにゲームをやっているのは別の話だ)

 

わかったらさっさと買って僕とあそんでください。