ゲームとマンガを消費し続けた存在が、人間関係もねらっていくにあたっての備忘録です

ブラッドボーンおもしろかった

美しかった。

 

 

そのゲームは恐ろしく美しく、そこに一切の無駄は無く、ゆえにすべてに意味があった。

 

世界観とアクションとシステムと難易度は調和していた。

 

狂っていた。

 

 

おもしろいという評価すら、冒涜的な行為に思えるほどに。

 

 

 

 

 

ブラッドボーンをクリアしました。一応真エンドとはいえ初回クリアのトロフィー達成率がたったの15%だった。

 

トロフィー率の低さは理由があって、去年PS+のフリープレイに追加されたことでたくさんの人が始めたはいいもののステージ1で多くが挫折したかららしい。トロフィー率だけ見たらステージ1のボスで全体の半分以上が脱落してることになる。にしたってステージ1のボスなんだからもう少しなんとかならない?ならなかったんだろうな…。

 


 獣狩りの夜、人が獣になる病の蔓延る古都ヤーナムの地を訪れた主人公は、右手に武器、左手に銃を持ち、様式美とも言える重厚な装束に身を包んだ狩人として、夜明けを目指して獣を狩っていくことになる。コンセプトアートのおぞましさと美しさは、すでに他に比類ない。

 

 システムは難しいように見えてシンプルだ。斧や剣といった右手武器は変形機能を有し、それぞれの形態で通常攻撃、溜め攻撃がある。銃はダメージも少ないが、相手の攻撃にカウンターであわせることでパリィがとれ、内臓攻撃というカウンター技につなげることができる。回避はステップとローリング、アクションゲームとしては今やどこにでもある基本的な×ボタンアクションだ。必殺技や高速移動など存在しない。敵の攻撃を避け、自分の攻撃を叩きこむ。しかしそれが余りにも完成されていた。これは本当に言葉では説明できないが、操作性がいいのだ。動かしやすく、ゆえにすべての死は自分の責任だとわかる。とかく死ぬことの多いこのゲームだが、このアクションの完成度がシステムのせいにすることを許さない。ぷよぷよテトリスにすら似たおぞましい完成度をもつアクションだ。なのにまったく単調さを持たないのだ。変形機構、パリィ、内臓攻撃のどれもが恐ろしく洗練されたスタイリッシュなモーションを魅せつけてくるからかもしれない。どれも格好よく、豪奢で、陰惨だ。

 

 

血があった。

獣を狩らねばならなかった。

 

…貴公、よい狩人だな 狩りに優れ、無慈悲で、血に酔っている

 

 世界観は謎が多い。そして驚くべきことにその謎が真に明かされることはない。土着の病、信仰、もしくは魔術的な匂いがある前半に続き、後半はクトゥルーの要素が強くなる。人間の上位者、それを求める者達の存在、その末路といった重厚な要素が登場してきて、人の身を超えた認知たる“啓蒙”をはじめ、“脳に瞳を宿さねばならぬ”、“宇宙は空にある”といった謎めいたワードが想像を掻き立てる。ただ、それらはきわめてシンプルにしか語られない。くわしい説明は作中にほとんどなく、アイテムのフレーバーテキストから類推するのが関の山。正直プレイ中はなにが起こっているのかプレイヤーには全くわからないと言っても過言ではない。襲いかかる異形、進むほどに狂っていく世界、未知への恐怖。知りすぎることによる発狂はまさにクトゥルーから始まるコズミックホラーそのものである。

 

秘密は甘いものだ、だからこそ、恐ろしい死が必要なのさ…愚かな好奇を、忘れるようなね

 

そして敵がやたらに強い。雑魚の一撃が平均して体力の四割を削ってくる。しかも絶妙に多彩な攻撃手段を持ち、間合いの詰め方や連続攻撃の回数、速度など、ゲームに慣れている人でも初見の対応は過酷を極める。完成された戦闘システムに迫りくる敵。そこに絶対の自信があれば、言葉は不要なのだと言わんばかりのゲーム展開は、それなのになお、まったくこのゲームを色褪せさせないのだ。なぜなら背景に重厚なストーリーがあることは誰でも感じ取れるからだ。限界まで削られた数少ないゲーム中の言葉は、すべてが印象的で、重要なものとなる。フレーバーテキストのひとつひとつが、惨烈なまでに世界を彩っていた。まるで俳句のようだった。余分を剥ぎ取った言葉は、信じられないほどの重みを持って、狂った世界の寄る辺となる。


 ステージ構造、背景美術、音楽も美しいとしか形容できないものだった。原点にしてマスターピースとも言える古都ヤーナムのステージはビクトリア様式のゴシック建築とガス灯、ガラスや鉄といった特徴を余すところなく盛り込んだ立体的なステージで、ショートカットを開通することでリスポーン地点からボスまでの移動がスムーズになる仕組みも驚くほど巧みだった。

 

煉瓦や彫像、鉄柵や煙突がこれほどにおぞましく、美しく見えるものだと知らなかった。

水音が、カラスの声が、焚火のはぜる音が、これほどまでに。こんなにも。


血があった。死闘がそこにあり、それはどこまでも続くかに思われた。


しかし。いつかは獣狩りの夜は終わる。何十と死んだその先に、光明は拓けることがわかっている。

 

 欠点をあげるなら、とにかく敵が怖いということだ。生理的なものももちろんだけど(後半とかどんな神経してたら思いつくんだみたいな狂った造形がドサドサ出てくる)、純粋に未知への恐怖があった。どこになにが、どんなふうに出てくるのかわからないのは恐ろしい。逆に言えば、それ以外は文句のつけようのないデザインだった。ロード時間やアイテム欄の利便性、ショートカットシステムのすべてがしっかりとプレイの快適さに繋がっていた。

 

我ら血によって人となり、人を超え、また人を失う

 

 ブラッドボーンの難易度は過度に適度だ。繰り返すことで必ず先に進めるようになるし、注意深く考えることで必ず弱点やヒントを見つけることができる。しかしなあなあで進めば秒殺される。怯えるだけではけっして先へは進めない。アクションゲームとはかくあるべきだという信念すら感じ取れた。そう、これはおどろくほど美しく、完成されたゲームだった。設定がどこまでも深く練り込まれ、込めたイメージは何百ページものアートブックとなろうとも、これは映画でも、本でもなく、まぎれもないゲームだった。だからこそ、戦闘は凄惨にして爽快で、ステージは複雑にして明快で、体験は鮮烈に記憶に遺るものとなった。だからやはり、この文章の最後はこれしかないだろう。

 

知らぬ者よ かねて血を恐れたまえ、と。