ゲームとマンガを消費し続けた存在が、人間関係もねらっていくにあたっての備忘録です

ゲームが最強のコンテンツだと思う瞬間の話 

 久しぶりにゲームの話をしましょう。したいんだ。させてくれ。ゲームだからこそできる表現技法について。

 

 UNDER TALEという今年最大級に売れたインディーゲームを終えました。間違いなく今年最高のゲームのひとつといっていい。MOTHERと東方にインスパイアされたという本作はそのレトロな雰囲気や軽妙なセリフ回し、モンスターと会話できたり、エンカウントバトルに弾幕を持ち込む独特の戦闘システムなどもさながら、シナリオのみごとな分岐システムにひさしぶりに泣きそうになった。と、まあそれくらいにして。

 RPGのもつメタ性をきちんと使うということについてです。多くの物語がこれに挑戦しているものの、スパッと決めた作品は多くないこのメタ性の使い方。昔ならともかく、メタ的な視点がある程度使い古されてきたこの頃では没入状態にいかにもっていくかがカギとなるように思う。

  俺が知っている範囲で幅広く具体例を挙げて考えていきたいし、ぜひ考えてほしい。

 

 ここからはいくつかの名作のネタバレが含まれるから、これからぜひやるぞという方は見ないで欲しいんですが、具体的にはMOTHER2Metal Gear Solid  3とThe Last of Usについてはがっつり話すのでそのつもりでお願いします。

 結論ありきで言うなら、『プレイヤーに「自分がやった」と思わせる』表現方法についてです。

 

 

 

 

 僕の知識なんてたかがしれてるのでこれこそ○○の始まりみたいなことはほとんど言えないのだけれど、MOTHER2が世界のRPGに与えた影響というのは無視できないと思う。

 

 MOTHER2のラストは、「みんなの力だけでは立ち向かえないんだ…」と画面越しに戦う仲間達を見てプレイヤーはなにもできない。だけど名前を呼ばれるのだ。きみの力が必要だと。そのときプレイヤーはゲームの中にたしかに存在することが可能になる。いや、はじめから自分の世界と画面の中の世界が繋がっていたことに気づくのだ。共に旅をしていたことに。たしかに自分も「みんな」の中に含まれているのだということに。そのとき、MOTHER2という架空の世界は、圧倒的なリアリティを持ってプレイヤーの記憶に刻み込まれる。

 ある種の叙述トリックに似たものがある。小説なら使い古された手法かもしれない。だけど、RPGというのはもともとシステムからストーリーが逆算されるようにして創られたジャンルだ。これもまた語り始めるときりがないけれど、敵を倒してボスを倒す、という行為に意味づけをするためのストーリーであり、その結果「より世界に没入して欲しい」という気持ちが今日までRPGを進化させてきたと僕は考えている。わかりやすいところだとグラフィックをより現実感のあるものにしていくことなんかもその一環だ。だけど、どんなにがんばってもプレイヤーは主人公と乖離する。大冒険であればあるほど、他人事になってしまう。MOTHER2はそこに、プレイヤーの役割を与えることで解決した。コロンブスの卵だ。プレイヤーも主人公と同じようにこの世界でやることがあるのだと。この世界の一員だったのだという、そんなゲーム体験を届けた。

 

 同時に、「これやっていいのかよ」というあまりにも斬新なゲーム体験になった。元来ロールプレイは、自分がなりきるものだ。それはそれで確かに楽しい。主人公としてプレイするのは楽しいし、多くのゲームがそれで十分に成功している。だけど、その矛盾というか、乖離を突かれるとき、そこには圧倒的なリアルが生じる。ゲームの持つ「体験」的性格の新たな可能性を開いたのは、ここだと言ってそれほどずれてもいないだろうとおもう。

 

 とはいえグラフィックが向上し、映画的なゲーム体験が提供できるようになると、なかなかメタ的な演出はできない。そもそもプレイヤーも第三者としてストーリーを楽しもうとするようになってきているのだ。主人公と乖離しているのは前提意識にある。そんな中で、メタルギアソリッド3は凄かった。ストーリーとかは割愛する。ここで話したいのは表現技法だ。メタルギアソリッドのラストでは、愛した師を撃つことが求められる。ラストバトルで大切な人と戦うという点はさほど珍しい話ではない。倒した後に、引き金を引くためだけのイベントがあるのだ。プレイヤーが攻撃ボタンを押すことでムービーが進む。逆に言えば、プレイヤーが引き金を引かないかぎり先には進めないのである。乖離していたはずの、ムービーを観て楽しんでいた観客に、「それはお前だ」と突きつける演出なのだ。この結果、スネークと同じ選択をしたプレイヤーの没入感は最高潮に達し、その後のエンディングはもはや観客席で観るそれとは性質が変わってしまう。僕の知っている他作品だと、The third birthdayにおけるラストでも同様の技法があった。プレイヤーの選択をいやがおうにも意識させる技法である。(さらに言えば実質選択肢は限定されている点もおもしろいのだけれど、今回は本論とずれるので割愛)God of Warで取り入れられたQTCシステム(制限時間以内に正しいコマンドを入力することで派手なアクションにつながる)や、FF13だかでムービー中にポチポチボタン押すやつも没入感を増すためのものだ。しかしながら無意味なQTCも世間には数多くあり、酷評されがちなシステムでもあり、バランスは非常に難しい。

 

 おもしろい作品をどの媒体よりも没入して楽しめるのがゲームのいいところだなあと何年も思っていた僕の前に現れた怪作がLAST OF USである。

 パンデミックもので、抗体を持つ少女エリーを連れて、かつて娘をパンデミックでなくしたおっさんジョエルが、崩壊したアメリカを横断しながらワクチンを作れる病院までというのがおおまかなストーリーだ。

夏秋冬春の四章立てであり、たとえばジョエルが怪我をする冬にプレイアブルキャラクターがエリーになることで彼女の成長を表現するといったおそろしい技法も使っているのだが、僕にとって怪作と呼ばしめる点はラストステージにある。

ワクチンをつくるためにはエリーの脳を必要とする。その命が犠牲になると聞かされたジョエルは怒り狂い、目的地であった病院の人間を皆殺しにしてでもエリーを助け出すことに決める。ノーティドッグの圧倒的なグラフィックによる豊かな自然表現、表情表現、アカデミー賞受賞女優の演技とセリフを取り込んだキャラの動きはなみの映画を超えた没入感をプレイヤーにあたえ、プレイヤーはジョエルと一体になっている。

だがジョエルの行動は道義的に見れば狂っているのだ。事実、エリーを預かるマーリーン(ジョエルからすれば敵)は決して悪人ではなく、良心を痛めながら必死にジョエルを説得しようとしてくる。しかしジョエルは止まらない。二度と娘を殺させない、かつての父の想いは半ば狂気となってプレイヤーに宿り出す。極めつけはエリーの手術室である。中の医者を殺して手術台のエリーを解放するのだが、このとき看護士は横の机に隠れてふるえ出す。殺さなくてもいいのだ。しかし生かしておいてどうなるか、その時点ではわからない。多くのプレイヤーはここで無抵抗の人間すら殺すという選択をとる。

 ムービーに没入、の次元を超えて、プレイヤーの価値観を揺るがせてくる。人間を救うためにここまで来たはずが、エリーのために全人類を敵に回す覚悟を決めている。プレイヤーの倫理観を歪めるという点では貴志祐介の「悪の教典」に共通するものも感じる。感動して泣いたとかって、画面の中の第三者への共感であることがほとんどだと思う。この作品は、共感ではなく、本当の意味で一体なのだ。

 

 登場人物の表情やそこから伝わる葛藤、技術の進化が可能にした技法だったんだなと思った。「プレイする映画」を標榜したアンチャーテッドシリーズも、THE LAST OF USの製作を乗り越えた4ではさらに臨場感の増した人物描写が見られたように思う。

 

 ここまで【プレイヤーが主人公と世界を共有する】【プレイヤーと主人公が行動を共有する】【プレイヤーが主人公と感情を共有する】という点で雑にまとめられる。どのようにして共感させるのか、体験させるのかという視点がこれまでも、これからもコンテンツの進化の形だと僕は考える。いま【】でまとめたものの中からも、これからも素晴らしい作品は生まれるだろうけれど、それは専門職の職人技であって今回の話とはそれる。

 

 

 で、UNDERTALEはどうだったのか。これは本当にプレイしてほしいのでネタバレはしない。方向としてはプレイヤーが感情を共有する、に近い感動があった。だけどそれがあんなドット絵RPG風味の作品で可能な表現だとは想像もしていなかった。選択肢があるところでセーブ&ロードをしたとき、まさか相手にそのことを見抜かれるとおもわないだろう?UNDERTALEはMOTHERが持っていたユーモアを踏襲しながら、それを凌駕する没入感を可能にしている。敵を探してうろうろするときの感情って「早く来ないかな、さっさとLVあげてえ」だろ?その感情は果たして善なのか、悪なのか、考えたことはあるだろうか?

 

 コンテンツであふれかえった現代で先にいく作品はいかにプレイヤーに体験させるか、これに尽きると思うのですよ。金を稼ぐための近道ではないけれども。それがゲームに許された最強のアドバンテージだと僕は信じているんですよ。いくらでも例はあると思うんですけど、今日はこれくらいにしましょう。

 

 プレイしないとなかなかわからないですよね。僕も冗長だと思います。でもやっぱり自分でプレイしてほしいですね、わからないだろ?ちょっと長いなあと思いながらここまで読んでくれたお前に言っているんだよ。