久しぶりです。4月はなにかと大変でいたずらに神経を使ったり精神に悪いことが多いですが、あんまり深みにはまらないで、気楽にやっていきましょう。やっていきましょう。やっていきましょう。やるぞ。
引き続き文体について。以前は文章を書くにあたってについて書いたように思う。
とはいえ、実際にふだん人が長文を書くことは少ない。かわりに多くの人がやってるのは会話体の短文だ。メール、ライン、ツイッターをはじめとしたSNS。ここで使う文体はフォーマルなものにはなかなかならない。ならないよね?
ラインなどという暴利な個人情報叩き売りインターフェースについては思うところも多いですがそれはさておき。チャットという概念が通信形態を変えたのは大きい。文字の方がリアルタイムでの通信が楽だったから、というのが基本コンセプトだったとは思うけど、結果としてチャット文化は広く定着し、会話文としての文章技術は新しくなりつづけている。
表情と声の調子がわからないのに会話をするという状態がそもそも異常なわけだが、それを解決するために顔文字だクエスチョンマークだといったデコレーションが発達したのかと考えると趣深いものがある。アスキーアートなんかが流行ったのも今は昔ですね。絵文字という概念もたしか日本起源だったと思う。日本から逆輸入してiPhoneアップデートで追加されたそうだ。英語でもEmojiって言うらしい。
文字コミュニケーションの利点はやっぱあれですね、顔が関係ないことですかね。どんなひどい発言してても美人なら許されたりしますよね、あれが排除されるのはありがたい。逆に言えば、自分の容姿に自信があるなら文字コミュニケーションに頼るのは悪手です。あとは頭で一回まとめてから発言できるのは大きいですね。情報をまとめて伝えやすい。そこらへんの必要な文章力とか考えると、一定学歴のキモオタクに優しいコミュニケーション手段といえるかもしれない。
逆に悪い点は口論ができない点ですね。文字だけだとどうしても語調が強くなる。で、しかも悪いことに感情的な言葉って文字数短くてやたら打ちやすかったりする。はっきりいって感情的な言葉って言葉のままだと限りなく情報量少ないから、非常に扱いづらい。
今書いていてラインスタンプとかいう非言語曖昧ぼかしコミュニケーションツールへの言及をしそうになったけどこれはまた別の話で。
書いたはいいものの難しいですね。データ量が少ないぶん文字にすれば一度に大量のことは伝えられるのだけれど。それについて話し相手はどう思っているのかは、限りなく伝わらない。ウソもつきやすい。ウソだと思ってないことが情報不足でウソになるなんてことも日常茶飯だからアレ。のくせに文字は残るんですよね、あれもなんでも消せるようにするのもなんだかなあと思うので難しいところだ。
あ、じゃあこういうのはどうだろう。
ここまでぜんぶ爆笑しながら書いた、とか。実はチンパンジーに適当にキーボード叩かせたのかもしれない、とか。
文章なんて、そんなものかもしれないと思ったときの恐怖たるや。