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              ゲームとマンガを消費し続けた存在が、人間関係もねらっていくにあたっての備忘録です

春と対人と

おひさしぶりです。

 

四月が始まる。

 

 一年で一番出会いが多く、気分が高揚し、盛り上がる季節だ。一年で一番無意味な出会いが多く、無意味に気分が高揚し、無意味に盛り上がる季節だ。結果として心が疲れて五月病、というケースも多見する。常人でさえそうだ、いわんやオタクをや。

 

 さて、人間関係をやっていくための文章をこんなに書いておきながら今更だが、本質的に人付き合いとオタク趣味は相容れないものだ。金、時間、すべてが互いを否定する方向に働く。

具体的な話はきりがない。そこには世代をこえた確執と対立が存在し、血で血を洗う戦い(ほとんどオタクの血だが)が繰り広げられてきた。

 

しかしながら、人間関係をやっていくためには歩み寄らなければいけない。

 

 異文化交流を行うときに大事なのは、投げ出さないことだと思う。もう少し言えば、投げ出さないように支えてくれるものがあることだ。ここで恋人とか思いつく人間なら読まなくても問題ない。いなかったとしても、その手の具体例に脳がつながるタイプの思考をしている人間は心配いらない。学生の会話、半分以上は恋バナしてれば何とかなる気がしていて、自分なんか激しい違和感で局所的な希死願望に包まれがちなんだけど、実際何とかなるし、そのたびに首をひねりがちだ。

 閑話休題

支えるもの、というと大げさかもしれない。知識、経験の類だ。わかりやすい俺自身の場合で言うと、たとえば、オタクだってオタクじゃない友達がいる、ということだ。いや一人もいないぜって場合でも、友人の友人はまったく自分と趣味が違うことはあるだろう。

 別にこれだけに限った話じゃないが、俺の場合はそれが異文化交流をする上で、何度となく自分を踏みとどまらせてくれるものとなっている。

 よく、“友だちが 嫌いな奴と 仲がいい”みたいなことで悩むのがいるが、そりゃチャンスだ。おかげで、他にむかつく奴がいたとしても、あのいけ好かねえ野郎の関係者は全員ぶっ殺してやらあ、みたいな考え方を鎮めることができる。

 

 結論から言って、何度でも繰り返すが異文化とわかりあえることはない。少なくとも俺はできない。でも交流しなきゃ人間関係はやっていけない。だから心に指針を持たなきゃいけない。身近な例からゆっくりと広げていけば、相手の価値観に近づくことは可能だ。それは、それを受け入れられるかとは違う。可能なことだ。

 

 これで締めたら良い話で終わるんだけど、最後に、その作業を通じて自分の心が壊れないようにする努力、という話があって。

  自分と相容れない価値観を理解することは、残念ながら、当然ながら、極度のストレスを伴う。ただでさえ好きなこと以外はろくにスタミナを使わないオタクにとって、この作業は過酷なものだ。また、人間関係をやるにはただ相手を理解するだけではなく、相手に無愛想だと思われないようにする必要もある。受け入れることはできない、とは言ったが、受け入れられねーよバーカ、と言い放って良いとは一言も言ってないのだ。いやなものをいやだと言っていいのは自分に関することだけだ。思想、考え方なんてなおさらだ。

 中にはもちろんいやなやつはいやだ!で生きている幸せな人もいるけれど、そういう人は人間関係をやっていこうとするオタクとは別の世界の住人だ。はいそこを勘違いして死んだオタクに黙祷一分。

 

知らない人間と話すときは、決してオタクだなんてカミングアウトするな。死ぬぞ。

 

四月は死月だメメントモリ、常に死を想え。